こんにちは。12月8日に書いています。
12月5日に無事出産を終え、何事もなければ9日退院となります。入院期間は出産日を含め5日間だと聞かされてはいましたが、早いものですね。もう明日退院を迎えます。
目次
最初からできる人はいない
首のすわっていない赤ちゃんを抱くことさえ恐る恐るといった感じですし、オムツを替えるのもままなりません。こんなので放り出されて大丈夫なのかと、不安な気持ちでいっぱいです。
でも仕方ないですよね。実地で経験を積むほかありません。みんなそうなんですからね。
親が自信を持たないと、赤ちゃんはそれ以上に不安になりますよね。
僕たちが出産したこの産院は、ママとパパそれぞれの両親と兄弟姉妹しか面会できません。また面会時間は14時から20時です。
面会時は受付で、夫といえど名前を記入しなければいけないんですね。さらには『面会者』という札を首からぶら下げないといけませんでした。
いや、旦那ですけど
って思わず言ってしまいました。笑
受付の女性は、笑顔で札を渡してくれました。
今日も交替でオムツ交換とミルクを飲ませる練習をしています。頭がくたーんと後ろに倒れそうで、本当に恐いですね。
ですが慣れるほかないです。出来るようにならなければいけないんです。
娘よ。不便な思いをさせるけど、心を広くして練習に付き合ってね。
そして一緒に成長しようね。
病室で
出産した日は、夕方には病室に移動しました。トイレ、シャワー室が付いています。Wi-Fiもあり、なかなか快適に過ごせそうです。ってそれどころではないでしょうけれど。
まずはスーツケースを空にし、タンスにしまっていきます。
すぐに使うものは上の段に。退院日に着て帰る服など、今すぐ必要でないものは1番下に入れました。そうしないと、出産直後はお尻とお股が痛く、しゃがむことが困難なためです。会陰切開(お股を切る)したので、痛みが続いています。
すぐに夕食の時間となり、部屋まで運んできてくれました。なかなか豪華です。
あまり食欲がなく、半分ほど僕が平らげました。
1日3食、体調が悪いとか、なにか理由がない限りは同じようにここにいるママと一緒に食堂で食べるのです。
同じ日に出産された方が3名ほどいたそうですが、嫁以外は皆2人目の出産でした。
その日は20時ギリギリまで病室にいて、家に帰りました。
出産当日のことを思い出していろいろ書こうと思うのですが、たった3日前のことがなかなか思い出せません。出産シーンばかりが浮かんできますね。
ひとりの家は寒い!
今日からとうぶんの間、家ではひとりの生活となります。ひとり暮らしは長かったので、なにも心配ないです。料理も一応出来ますし。嫁は僕を子供のように心配しますが。
家に帰ってきてドアの鍵を開けます。部屋は冷蔵庫の中のように冷えていました。仕事で僕が家をあけることがあっても、逆に僕ひとりになるということがほとんどなかったため、余計にそう感じたのでしょう。
暖房をつけると、なにやら壁に違和感を覚えました。張り紙がしてあります。
張り紙には、産院と陣痛タクシーの電話番号などが書かれていました。
縦に書いてある『ゆびわはずすの忘れないように!!』というのを見て、ふっと笑ってしまいました。
いったいいつ書いたのでしょう。
もちろん出産前ですが、僕はあまり周りを見ていなかったんだなと気づかされました。
ちなみに結婚指輪は、出産2日目にはすでにはめておりました。
産後
2日目は僕の両親がやって来ました。姉の3人目の出産から16年。16年ぶり4人目の孫ということになります。ベテランおじいちゃんです。
この日の夕食はフランス料理でした。写真で見せてもらいましたが、かなり本格的でした。
嫁はうちの両親の手前緊張したのか、オムツ交換に悪戦苦闘していました。
3日目にはお義母さんと、嫁の弟ふたりが来てくれました。
両日とも、さながら撮影会です。
この日の夕食はお寿司。目の前で握ってくれるのです。
妊娠してからずっと生物は食していなかったので、嫁はこの日を心待ちにしていました。
お義母さんたちが帰ったあと、ふたりでオムツ交換とミルクをあげました。
腰が痛くなりますね。肩もこります。
産後4日目
そして本日4日目。
オムツ交換とミルクをみっちりやろうと前日に言っていた通り、交代で気合を入れてやりました。
かなり上達したと思いますよ。
途中で外に出て、戻ってきたら部屋には誰もいません。ミルクを作りに行ったのだろうと思い、待っていることにしました。
15分、30分経っても戻ってきません。さすがになにかあったのではと心配し始めます。
40分くらいして、ようやく嫁が赤ちゃんベッドを押しながら部屋に入ってきました。赤ちゃんは眠っているようです。嫁はというと、泣いていました。
焦りましたよ。呼吸が止まったとか、動かなくなったとか、いろんなことが脳裏をかすめました。
嫁は、「もうどうしたらいいかわからない」
と言ってうなだれます。涙が止まりません。
なにがあったか訊くと、助産師さんがなにも教えてくれないから、と。
育児ノイローゼは誰しもなる可能性があると思った
産む前の想像としては、ずっとではないにしても付きっきりでオムツの替え方や抱っこの仕方、ミルクの量、なにかあったときの対処法など、いろんなことを教わるものだと思っていました。
けれどいざ出産して病室に入れば、そこはもう閉ざされた世界。
もちろん聞けば丁寧に教えてくれます。親身になって。
しかし、例えば1日目は30ml与えたミルクが、2日目には40mlに増やさなくてはいけないなど、最初に言われなければわからないことが次々に出てきて精神的に参ってきていました。
この2日間、たった2日間ですが、やり切れない気持ちを抑えていたのでしょう。
助産師は患者と同じ数だけ常駐しているわけではないですし、付きっきりというのはなかなか難しいことだとは思います。ただ、嫁の肩を持つわけではないですが、ある程度マニュアルのようなものがあってもいいかなとは思いました。
まぁ訊けば教えてくれるわけだし、ここにいてる間にしつこいくらいになんでも訊けばいいじゃないかと諭しました。
けれど、助産師さんによってやり方が違う、言っていることが違うというのも、余計に頭をこんがらがせ、それがストレスになっていたのです。
僕も今の仕事に就いたとき、同じようなことがありました。異業種からの転職だったので、早く身に付けたく真摯に耳を傾けますが、先輩によって、言っていることが違うのです。
なので僕は、いろいろ教えてくれたその中から自分に合ったもの、自分に出来そうなことをまず試していくことにしました。
正解がない以上、そうする他ありません。
そのことを嫁に言うと、助産師さんにも同じようなことを言われたそうです。
産婦人科の中でも、どんどん進化しているから仕方のないことだと。
昔、頭が絶壁にならないように赤ちゃんをうつ伏せに寝かせるという時代がありました。
けれど窒息死するということがあったのでしょう。今ではうつ伏せで寝かせているところはないと思います。
医療が発達し、いい薬がどんどん開発されています。それと同じように、やり方もそのときそのときで改善されていくのですね。
嫁は嫁のやり方で
嫁は子育てアプリで質問したほうが早いと言って、さっそく届いた返信を見せてくれました。
先輩ママが回答してくれているので、少なくとも間違いではないでしょう。
ですが先程言ったように、時代によってやり方や考え方などは変わっていくのです。ある程度の知識は、自分で収集しておかなければいけないのかもしれませんね。
とはいえ、ネットの情報もすべてを鵜呑みには出来ません。何事にも、正解などありません。試行錯誤するしかないですね。
ネットすらない時代はどうしていたんでしょう。昔とは違い、助言してくれるお母さん或いはおばあちゃんがそばにいない核家族が増えたのも、要因のひとつかもしれません。
最後に
退院すれば、嫁は実家に数週間帰ります。
頼ってばかりはいけませんが、僕たちには助けてくれる人がいます。
僕はパパ初心者です。嫁もママ初心者です。言うなれば赤ちゃんも、赤ちゃん初心者です。何10年生きてきた僕たちよりも、わからないことだらけです。
わからない者同士、勉強しながらやっていけばいいしゃないか。
赤ちゃんは泣いて教えてくれます。ヒントを与えてくれるのです。
なぜ泣いているんだろう。
ミルクが欲しいのか。オムツを替えて欲しいのか。
いろいろ考え知恵を出し合い、最後にはすやすや眠ってもらえるよう力を合わせてがんばろう、子育て。
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